計画性と罪の重さ

自由意思・責任・刑罰の問題は、脳の原理の問題とも密接に関係しているので、ときどき考察を進めている。

今回「計画的でない犯罪はなぜ罪が軽くなるのか」が気になり、ちょっと検索してみた。

「殺人事件などで計画性が無いと罪が軽くなるのはなぜでしょうか - Yahoo!知恵袋」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418212974
「計画的犯行の殺人は、衝動的なものよりも罪が重くなるのですか?どちらも殺人には... - Yahoo!知恵袋」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312568413?fr=rcmd_chie_detail


上のページ内にある「計画的である場合では、起こせる犯罪の規模や確実性が違う」という主張は、まあ理解できる。
衝動的に犯行を試みたら運悪く成功してしまっただけという場合は、被告の危険性は低いので、罪が軽くなるべきだ、というロジックか・・・。
しかしそのロジックによれば、計画性だけでなく、被告の知能の高さ、器用さ、腕力の強さも、罪を重くする理由になるべきだ。「起こせる犯罪の規模や確実性が違う」のだから。

そもそも「たまたま運悪く成功しただけ」とはとても思えないような事例でも、「計画的でない」という理由で罪が軽くなっている印象があるけど・・・?

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確かに計画的ならばより悪質と言える場合が多い気はしてきた。が、だからといって機械的に「計画性がないから罪は軽い」という判決を下すのは無茶すぎる。事例ごとに違うだろう。
裁判官は、「人間というものは、一定の状況に置かれればある程度必然的に犯罪を犯すものである」と考えているのだろうか。
これは日ごろ犯罪とは無縁な一般人の感覚とは大きく違う。

そもそも裁判官は生身の殺人事件被害者とは顔を合わせず、
生身の殺人事件被告とだけ日常的に顔を合わせるのだから、
被告に有利な判決を下すような心情的バイアスがかかるのは当然だろう。
そこを補正するのも裁判員制度の役割なのかもしれない。

それにしても現在の法律の専門家というものは、本当に手がつけられないほど一般人の常識からかけはなれており、自浄作用も期待できないのだろうか?
もしそうだとしたら、裁判員制度によって、専門家の非常識さが一般人の眼前にさらされるのはとてもよいことだろう。
でも、外国の裁判員制度で、実際にそういう効果が得られたことがあるのだろうか?
しろうとの狭い視点や感情に基づく判決が増えるというデメリットの方が大きい気もする。

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話がずれてしまったが、自由意思・責任・刑罰の問題は今後も考察を進めていくつもり。

今回の問題は「自由意思と熟考」および「自由意思と責任」の問題に関係している。
熟考は自由意思の要件の1つであり、自由意思は責任の要件の1つである、と仮定する。
衝動的ということは熟考しておらず、あまり自由意思に基づいていないので責任が少ない。
計画的ということは確実に自由意思に基づいているので責任が重い。
というロジックが成り立ち得る。


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